コンテンツ化することのなにか

wikipedia:コアコンピタンス という用語を最近はあまり聞かない。もはや死語かもしれないが、私が就職活動をしている当時 (10年前) はよく聞いた言葉だった。

御社のコアコンピタンスは何ですか?

と言ったように使う、いや、使われていた。それを個人に応用して、誰にも負けないなにかを持っている人でないと競争に勝てないといった言葉が流行っていた。さらに、コアコンピタンスが1つでは役不足で、2つないとこれからの時代は生き残れないという意識高い系の言説がさらに若い人に呪いをかけていた。その要旨自体はいまでも通用する当たり前の話ではあるけれど、私もそのときからずっと2つ目のコアコンピタンスとは何かと言うのを考えてきた。

普通に就職して、普通に何年もお仕事を続けていると、その業務についてはプロになる。例えば、私は SIer で流通基幹系の開発プロジェクトに3年間ほど携わり、基幹システムの開発・運用がどういうものかという経験を積んだ。その後、2年ほど OSS のパザールモデルの開発の在り方を学び、プログラマーに転身して5年ほどプログラミングの技能を磨いてきた。小中規模の開発プロジェクトにおけるシステム開発の経験や技能は、一般人と比べれば、それは紛れもなくコアコンピタンスだ。

但し、それは一般人と比べたからであって同じ業界の人と比べるなら大した違いはない。本当はその分野で秀でれば良かったんだけど、どうもそれほど努力も足りず、才能もなかったのでそうはなれないかもしれない。まだ諦めてはいないが、年齢を考えると自信もない。そこで2つ目のコアコンピタンスだ。同じ業界の人と比べて、自分はこれが卓越していると何をもって言うか。

これがなかなかに難しい。

いろいろ若い頃から考えてきた。2つ目のコアコンピタンス人間力なのか、マネジメント力なのか、英語力なのか。どれも興味はあるし、今後も磨き続けようとは考えているものの、なんか違うなぁと思っていた。そして、最近の動向からこれかも?と思うようなったのはコンテンツというチカラだ。

言うまでもなく、個人がブログを書くようになって、SNS で同僚や友だちと緩くつながるようになり、コミュニティで共通の目的をもった仲間と出会うようになった。そういったソーシャル的なものが流行するようになって、自分がコンテンツとしてどうみえるかというのを考えるようになった。個人が wikipedia:エンパワーメント されるようになって、よりおもしろい人とおもしろくない人が如実に表されるようになったとも言えるし、誤魔化しの効かない時代になってきた。つまらない人はソーシャルでもつまらない。

このコンテンツというのは誰にも真似ができない。誰も自分の人生を肩代わりできないし、ビジョンも共有できない。

自分がコンテンツとして他者からどう映るか、それがおもしろいか。ここでいう「おもしろい」というのは、波乱万丈な生き様で泣いたり笑ったりできるということではなく (もちろんそれはそれでおもしろいが) 、他人に興味を抱かせるなにかをもっているかということを指している。

コンテンツはそれ自体がエンターテイメントの対象であるべきだし、それ自体を強みにしたり、マネタイズしたりするわけではない。コンテンツから生まれる次の行動だったり、影響だったり、文化だったりするなにかを指している。まだうまく言葉にはできないけど、もっと身近にコアコンピタンスがみえそうな、そんな気がしている。