経験のある人を身近におくこと

タイムラインで経験年数とか関係なくね?みたいな記事や話題が盛り上がっていた。IT 業界あるある的なネタは周期的に繰り返しているような気がして、同じネタを2回も3回もみているうちにあ、はい、みたいな反応になってもうどうでもよくなる。意図的にしろそうでないにしろ、バズらせるために極端な表現を見聞きするのも飽きてきた。

いまの私の所感を書くと、勉強しない人たちも、業務外で勉強しろと威勢のいい人たちも両方消えてなくなれって感じだ。あっ、その話題じゃない?じゃあ、経験のある人も未経験の人も両方消えてなくなれ、、、とは言えないか。

閑話休題。経験年数でその人の能力は一概に測れないというのはまぁそうでしょう。この答えは、できる人はできるし、できない人はできないというだけだと思う。経験年数とか関係なくできない人がいるだけ。当たり前の話だけど、できる人は経験がある方がよりできるという話でしかない。

自分に置き換えて考えてみよう。それなりに勉強している自負があると仮定する。1年前の自分よりも現在の自分の方が能力は上がっているし、その延長線上で未来の自分もいくらか能力が上がっていると推測できる。どう考えても経験年数の多い方ができるに決まっている。

本題はそこじゃなくて自分がそれなりの年齢になって周りの見方や日々の応対が変わってきた感がある。というのは、私より若い上司や顧客が増えるにつれ、自分に求められる役割が変わってきているのではないかと感じるようになってきたからだ。

いまの私が一回りぐらい年配の方に接するとき、私自身が未熟なためにみえていないものをその人の経験から助言してもらえるのではないかと期待してしまう。

ここでいう助言とは、プラクティスやハウツーといったスキル的なものではなく、A 社と B 社のどちらで働く方が自分の人生にとって良い選択だろうとか、利害関係の複雑なプロジェクトの中でどういった施策が最も効果が高いだろうとか、どれが正しい、どっちが優れているといった解のないことに対する助言だ。

私自身そうなのだけど、若い人への助言は限定的にしようと日頃から気をつけている。自分のメディア力とのバランスを取りながら若い人の感性やモチベーションを阻害しないこと、いわゆる老害にならないよう、気を配っている。

それと同様に私より年配の人のことを考えると、私が尊敬する年配の方もあまりあれこれ言ってきたりはしない。たまに私がみえていない気付きを与えてくれたりして、分かっているなら最初から教えてよ!とか思ったりするのだけど、落ち着いて考えてみると、やはりそうではないというのも分かる。

経験があるほどにその状況におけるベストなものの判断は速く的確になる。それは堅実な解として優れているかもしれないけれど、新しい可能性のある解ではないことが多い。そう考えると、よく知らない若者においそれとは助言しないし、その助言の内容についても慎重になる。

つまり尊敬する経験のある人はなかなか助言をくれないのが必然なのだと思う。折をみて、必要最小限の助言しかしない。それに気付いて自分のものにできるかという自分自身の姿勢が問われる。

年をとるにつれて自分より経験のある人は相対的に減っていく。身近にそういった経験のある人にいてもらうというのは、自分より若い人と一緒に働くのと同様、両輪としてバランスを取る必要があるかもしれないなぁと経験年数の話題を脇目に考えていた。