望んだ環境

昨年、自分が開発したコンポーネントが実運用されるようになりつつあり、多くの開発者が経験するように実運用ではなかなかうまくいかず、サポートでトラブル対応をしてたりする。最近導入したお客さんなので、私の担当コンポーネントのトラブルだけでなく、他にもいくつかトラブルがあり、会社のお偉いさんからミーティングの召集がかかって私も関係者の1人として出席していた。

お客さんに対して、担当営業さんがいて、コンサルがいて、そして開発の人間がいる。開発部にはプログラマーとインフラ担当もいる。

昔、私は SIer にいて、いまの会社でいうコンサル (SIer で言うところの SE に近い) のお仕事をしていた。お客さんとの技術的な窓口になったり、直接的なサポート対応をしたり、お客さんの環境で実作業をしたりもする。だから、そのお偉いさんが考えることも、コンサルや担当営業が気にかけるところも何となく分かる。そして、私の代わりに見えないところで誰彼なしに怒られていることも想像がつく。

その場では言わなかったけど、私が低品質なものを作ったがために嫌な思いをさせてごめんなさい。

さて、そんなコンサルさんたちを見ていて過去を思い返したりしていた。業務の中でお客さんの相手はやはり疲れる。そして、合理的ではないこともしばしばある。お客さんからも社内からも怒られるこのポジションは辛いことも多いだろう。昔の私も、この社内・社外に対しての関係者の調整という煩わしいお仕事をせずに、もっと自分の好きな技術的なことに専念できるお仕事がしたいと考えていた。そして、転職を繰り返すうちに、いつの間にかそうなっていた。

いまの会社のお仕事はパッケージ製品の開発という、お客さんとも他の部署とも直接やり取りせずに自分の開発に引きこもれる。唯一、サポート対応だけは日課にあり、自分の担当コンポーネントや自分がつくったコンポーネントのサポートは (社内で) 日々やっている。そして、いま思うことは、このサポート対応がなければもっと開発に集中できるのに、と思うときもある。

そう、過去を振り返ったから分かることだ。

もし現状がこうだったらアレができるのに、、、

それはある意味で事実だけど、そのときの状況が変わったとしても、その先で自分の考えることは何も変わらないだろう。世の中がそういうものなのか、人間の欲望が尽きないのか、また新たな煩わしい事象があってそれがなかったらいいのに、と思うだけだ。

親会社でゲストフェローを務める CTO がチーム開発の書籍を管轄部署のメンバーに読ませたいと言っていた。よく分からないけど、その部署のメンバーが傲慢過ぎるから、謙虚になれと言ってるそうな。そこは親会社のエリートの集まりの部署なので、おそらくは相当に優秀な人たちばかりだと思う。そこ出身の知り合いも何人かいるが、いずれのもすごく優秀な人たちだから何となくイメージはつく。普通の開発者の技術レベルだと釣り合わず、うまくコミュニケーションがとれないのかもしれない。

傲慢になる要因の1つも、それが自分の望んだ状況と違うからかもしれない。自分ならもっとうまくやれる。自分なら失敗しない。でも、やはりあえて現実は違うと私は思う。いま置かれた状況を自分の力で変えていけないとしたら、それが変わっても、また結局同じことで悩むことになる。何から始めても、どこから始めても結局は同じ。最終的には同じなんだ。それぞれがやってきたことの先にあるものは、人が変わっても、状況が変わっても、みんな同じところに行き着くような、何となくだけど、最近はそう思うようになってきた。

目先のことをどう判断しようと、その結果がどうであったとしても、中長期的にみたら自分の目指すところにあまり影響を及ぼさない。けれど、その時々で自分が考えたこと、行動してきたこと、それが望んだものかどうかを決めることになるだけだ。