スタイルを構築するということ

最近やる気のなさがやばい。しんどいことがあったり、嫌なことがあったり、余裕がなかったり、そういったものが重なって持続的なやる気のなさにつながっている。

柔道の世界にある心・技・体 *1 とはよく言ったもので、それなりの時間と量を要するものごとに取り組む上で大事なことを端的に表していると言える。厳密な解釈や言葉の意味はここでは取り上げないけど、そういう要素があるなと、やる気がないときによく実感するのでちょっと書いておく。

プログラマーの世界だと、心・技・体のうち、最も高めるのが容易なのが「技」だと思う。ぶっちゃけ年を経て経験を積めば徐々に高まる。もちろん、その速度や深さに個人差はある。新しいパラダイムや概念は確かにそのときは全然理解できなかったり、難解なものに見えても、時間が経てばそう苦もなくいつの間にか分かるようになってるときがある。ほとんどのケースで勉強すれば誰でも身につく。

その次は「体」だろう。不摂生をやめて普通の生活をしていれば、問題ないはずだけど、人によっては夜型だったり、目が悪かったり、小指が痛かったりすることもあるだろう。うちの職場ではプログラマーに最も重要なのは筋トレだと唱える人もいて内心どうでもいいわと思ってるけど、まぁあながち的外れというわけでもない。自分の経験から大事なことは、食べること、寝ること、歩くことかな。誘惑に負けて怠惰な生活をしなければ大丈夫。

最後の「心」。これは未だに分からないし、たぶん分かったとしても最も難しい。こんなことできたらいいなぁとか、こういうことやりたいなぁとかは何となく思う。だけど、思うだけで終わってしまう。最初のやる気を出す方法の1つとして、タスクを小さくするという手法が良いそうだ。それも効果的だと思うけど、そもそもタスク分割できていない、もやっとしたイメージのような対象には適用できない。イメージをタスクに変換するときの何かがまだ必要だ。

発想の転換で何もやらないというのもそれなりに強力だ。不思議なもので何もやらないことに耐えるのも結構しんどい。何もやらないよりは何かをやっていた方がまだましだ。そこに至るまで何もやらないというのも効率は悪いけど、効果はある。

とはいえ、ほとんどの人は毎日何かしらルーチンを抱えていて忙しい。やりたくないタスクばかりを並べると、その中で最もやりたくなくないタスクに着手できたりする。しかし、やりたいタスクが入ってこないのが前提条件になるため、やはり効果は限定的だ。

たぶん答えもなさそうなので「心」は無視する。考えるだけ無駄だ。やる気があったり、なかったり、そういうものだと認識するだけで十分だと思う。

前置きが長くなった。ここで個々の要素ではなく、どうやって心・技・体としてバランスを取るかということを考え始めた。きっとどれか1つだけ突出していても駄目だろう。この3つが組み合わさったものが自分のスタイルになるんじゃないかと思うようになった。思想、心情、考え方、知識、知恵、技量、生活、体力、健康。キーワードはいろいろ出てくる。このバランスを安定的に保つ、できれば数年間といった期間で保つ。それが次のステップへ繋がるように思う。

もともとは夜型だった生活を朝型に改めた過去の経験から思うことがある。若い頃にそれを目指して私は半年かかった。いまでも調子を崩せば、朝型へ戻すのに2〜3ヶ月は要する。スタイルを構築する、いわば型にはめることそのものに一定の助走時間がかかるんだと認めるようになった。明日からがんばろうと思ってできるものではない、厳密には続くものではない。

もし自分がスタイルを構築する段階で、その障害となるものがあれば、それは全力で排除しないといけない。何となくいまそういうのを実感していて、客観的に自分が悪いのは認識しつつ、それでも引かずに押し通そうと考えている。そうやって面倒くさい人間になっていくのかもしれないけど、分からなかったことが分かるかもしれないと思ってしまった時点で自分はおとなしく振る舞うみたいなことはできない方なんだと諦めてもいる。

もう何年も前の話だけど、筆跡鑑定というのを受けたことがある。その鑑定士の先生が

あなたはものごとを壊すのが好きな人だから仕事はあまりうまくいかない。向いている業種をあげるなら新規開拓の営業とかだ。

のようなことを言っていた。結構きつい先生で他にもぼろくそに言われた。結構当たってるかもなと自分でも思うところがあって、何かうまくいかないことがあればよく思い出す言葉の1つでもある。自分の納得感、興味へのわくわく感、そういったものを他人の迷惑よりも優先してしまいがちなので、きっと端からは壊しているように映るのかもしれない。

とか、なんか最近やる気がないから、やる気がおきそうなことを考えたりしていた。