コミュニケーション能力を考えてみた

久しぶりにハッと思う記事があったのでちょっと書いてみる。他人に書く動機付けを与える文章を書けるって本当に凄いと思う。

コミュニケーション能力って何だ!?

「産業界が学生に求めるのはコミュニケーション能力だ」 というデマが出回っているようですが、 これは嘘ですので忘れてください。 マトモな人に聞いてみれば誰でも同じ答がすぐ返ってくると思うのですが、 一番重要なのは 「考える力」 です。

仙石浩明の日記: ベンチャーが学校教育に求めること

爽快!!!

そうそう、学生が「コミュニケーション能力なんか発揮できるわけねー」と私も思う。

たぶん、コミュニケーション能力という抽象的な表現が良くない。責任を取る能力というか、実際に取らなくても (取れなくても) 責任を感じる能力というのが近いと私は思う。

「コミュニケーション」というと、ものごとをうまく伝えて、相手と打ち解けておしまいという印象を受ける。理路整然と話しが上手い人は一見、コミュニケーション能力が高いように見える。でも、それはビジネスで言う「コミュニケーション」の半分でしかない。話しが上手い人よりも、仕様や課題をきれいにドキュメント化できる人の方がより優れている。しかし、それでも足りない。

ビジネスで言うコミュニケーションとは「相手に何かを伝えて、相手が自分の意図した行動を取ってくれること」だ。いくらうまく伝えようと、いくらきれいにドキュメント化しようと、相手が何も行動してくれなかったら何の意味もない。

ここが一番受け入れ難いところだが、相手が行動しなかった責任は自分にあると思えるかどうかが大きな分岐点になる。

冒頭に「コミュニケーション能力なんか発揮できるわけねー」と書いたのは、社会人経験や実績の浅い若造の言うこと、為すことをベテランは相手にしてくれないというのが (主に日本的な) 企業の悪い慣習だろうと思う。またベテランであっても、利害関係で足の引っ張り合いをすることがざらにある。

誰もが一度は腐るだろう。

「お前ら何も分かってねー」

そして、いずれ気付くだろう。

「分かってないのは自分だった」

正攻法で攻めるなら、根回しと誠実さと情熱のコラボをもって解決するしかない。心身が元気でないともたない。そんなのを学生に求める方が酷だろう。でも、それがビジネスで言う「コミュニケーション能力」の本質だと私は思う。

自分はどうだったか

昔 SE をやっていた頃、運用サポートが私の担当だったけど、そこから派生して要件定義、設計、ちょっと開発もしていた。ある程度の規模以上のシステムになると、個人がどんなに努力しても、失敗はあるしトラブルも発生する。

私のお仕事は先ず謝ること。それから起こったトラブルを然るべき形でリカバリして、振り上げた拳の下し先を作ることだった。ここまでお膳立てして失敗するなよと思うことはしょっちゅうだったし、せっかく良い方向に進んでるのに政治的な理由で逆風が吹いたり、とにかく自分がコントロールできないことを怒られるのが嫌だった。そういうのに耐えられなくなって、自らサブシステムを作り直したこともあった *1

でも、本当の意味では、私のお膳立てが足りなかったからトラブルが起こったことを知ってるし、全てを完璧にすることはできないことも知っている。

やりたいこと

なので、 自分が何に向いているか早く見つけることが何より重要、 ということになります。 ただし、いわゆる 「自分探し」 は時間の無駄です。 なぜなら、 向いているか向いてないかは、 やってみなければ分からないからです。

仙石浩明の日記: ベンチャーが学校教育に求めること

正にこの通りだと思う。

マネージャーを目指すなら「コミュニケーション能力」が必要だろう。メンバーが失敗したことをどんな状況であろうと、自分の責任だと受け入れてお仕事に向き合えるか。そのストレスに潰されないか。私にとってのマネージャーという役割はその一点に尽きる。

そして、私はそんなの嫌だと思ったからプログラマーでやっていくことにした。

プログラマーというのは、楽しくてやりがいのあるお仕事だと思っている。けれど、そのきっかけはマネージャーをやりたくなかったというのも嘘ではない。