職業観

ふらふら遊んでるので

正社員になるのが難しいこのご時世に、、、

というくだりをたまに聞く。

いまの自分にとって重要なことは次のことがらだ。

  • 自分にとって無理なく働けるお仕事が良い
  • 英語を使うお仕事が良い
  • 中長期的な展望をもって取り組みたい

に加えて、本当はもう1つある。

  • 田舎へ帰っても続けられるお仕事が良い

最後の項目は個人的な制約ではあるものの、それも自分の人生なのでいつまでも見て見ない振りもできない。そのため、東京 (都市) でしか就業できないお仕事や人の替えがきく大企業などもあまり魅力的には映らない。

お金を稼ぐのは大変だという意見には同意するけれど、働くことそのものと分けて考えると、もっと気楽に生きられる気がする。正社員が云たらも、私にとっては働くことそのものとは関係ないものにみえる。

世の中のほとんどのお仕事は、普通の人ができるようになっている。当たり前だ。誰でもできるお仕事のためのスキルは後からでも身に付くが、意識的に鍛えなければいけないのは、楽しく働くための心構えとか、失敗を受け入れる覚悟とか、そういった精神的な受け皿だ (健康で普通に体力のある人を前提に書いてる) 。

私の中の、これまでの経験から、お仕事で一番難しいのはこれだ。

  • 決断すること
  • (決断した) その結果を受け入れて、より良くなるように補正していくこと

私が幸運だったのは、最初の会社の、若い頃にそういった経験を何度かできたことだ。そして、失敗するべくして失敗してきた例もいくつかみてきた。

決断するのは恐いし、決断して失敗するのも辛い。

ものごとを為すのに、とき (時節) というのは大きな影響がある。ときを読む、というとちょっと格好良い感じだけど、何かに取り組むにあたって、いまやらないとこの先ダメになりそうな空気を感じることがある。早くても遅くてもうまくいかないし、そのときが適切だったかどうかも実際には分からない。別にお仕事に限ったお話ではない。

英語で言うと、now or never かな。やはり格好良い感じがする。

後になって振り返ると、あんなに無理してがんばる必要は何もなかったと思うことも多々あるけど、その時はそれが最善だと自分で判断した上での結果だった。

閑話休題。ときを読むことと、決断することは密接な関係がある。全ての条件が揃ってから、全ての能力を満たしてから、ものごとを為すに越したことはないけど、そんな状況はほとんどあり得ない。限られた情報の中で、限られた選択肢の中から、最善の策を考えて、実践していくしかない。

経験○年の割には、、、といった話しをたまに聞くが、それはその経験の中で自分で決断してこなかったんじゃないかと私は思う。逆に言えば、業務の中で、自分で決断して、取り組むことを実践していないと、どんどん保守的になっていく。

決断することは恐いし、決断して失敗するのも辛い。

失敗を前提に書いているのがネガティブだけど、私の経験だと、うまくいっても3割、決断して7割は思い通りにいかず失敗すると思う。もちろん最初からうまくいかないだけで、その後、反省しながらうまくいくこともある。それでも、やはり失敗を前提としない決断はないと個人的に思う。むしろ失敗したとして、その結果から、次はこの策か、あの策か、といったその後の戦略に活かすことを考えていればポジティブでもある。

じゃあ、決断する人なら誰でもお仕事がデキル人かというと、そうとも限らないことが最近分かってきた。決断した後の結果に対する責任や反省がないと成長しないのかもしれない。私から見たら不思議で仕方ないけれど、失敗しても是正しない人もいる *1

どうせ働くなら、より興味のあること、おもしろそうなことが良い。隣の芝生は青く見える。実際にやってみれば、よく分かる。フリーランスという形態が、思いのほか、私にとっては相性が良かった。あれこれやってみるには契約期間で去就を判断できるし、社員ではないことで組織に対して一定の距離も置ける。

自分がこんなことをやりたいからそのプロジェクトに参加したい、という感覚で働けるのが望ましい。正社員とか契約社員とか、本当のところはどうでも良いのだけど、より制約や責任の厳しい (と推測される) 正社員という契約形態が私は魅力的に映らない。そういう意味では、その心理的障壁を超えてでも、真っすぐ取り組みたいものを探している。

*1:失敗を認識して是正しない人と私は相性が悪い、筋が通らないと認知的不協和を起こす