くじけないこと

振り返ると過去に書評を書いてないけど、wikipedia:アルボムッレ・スマナサーラ 長老の著書は何冊か読んでいる。

近年の、私の考えや生き方は、スマナサーラ長老の説法というか、テーラワーダ仏教 (wikipedia:上座部仏教) の教えの影響も受けている。私はあまり宗教的な信仰をもってないし、特にこだわりもない。けれど、生きていくことそのものや、プログラマーという職業を続けるにあたり、自分の哲学をもつことの重要性を実感するようになってきた。そのヒントになるかなという意図もあり、スマナサーラ長老の著書を折に触れて読んだりしている。

本書は、タイトル通りの「くじけない」ための直接的な解というよりは、世の中とはどういったものであり、それらをどのように捉え、思考することで、心の平穏を保つか、引いては生きやすくなるかということを説いている。考え方というのは、人それぞれ様々で、あうあわないがあるだろう。そもそも仏教とは、仏陀という実在の人間による生き方の科学だという長老の説法やその論理は、分かりやすくて、シンプルで、真っすぐなように見えて私にはあっている。

人はなぜ、くじけるのか?
「それは、私たちがアーティフィシャル (artificial) な社会に生きているからです。」

というから問答から本書は始まる。そもそも社会というのは、人々が人工的に作ったもので、それぞれが都合の良いルールを加えていくことによって、絶えず変化し、それが人間にとって自然ではない生きにくさを増すような構造をもっている。それは現代が特別なわけではなく、昔からずっとそうだった。社会と個人との関係において、概念、心、妄想などはどう在るべきなのかを論理的に解説している。

言葉で説明するのは難しいけど、「モノゴトは見えないものの方が大事」だと私は思う。表面的な人間関係や評価、言葉のやり取りで説明できる内容なんか、モノゴトの本質の前では飾りに過ぎない。見えないものが見えるようになるのが、ある種の修行だったり徳だったりするのかもしれない。そして、見えないものを誰でも見えるようにするのが、1つの社会的成功だったりするのだろう。

スマナサーラ長老の言葉にはそのヒントがたくさんあるように思う。だから、アーティフィシャルな社会に囚われてもモノゴトの本質はそこにはなく、私の探している哲学とも違うもののような気がしている。