プライベート?

ランチに上司がプライベートで話したいとメールが届いて、1人で行った方が良いのかな?と半分思いながら同僚と行ったら、やっぱり1対1で話そうという意味だった。以前、働いていた職場では、1対1の面談のことを one by one と呼んでいたので、自分の中ではプライベート?って言われて意図がしっくりこなくて、なんか家族のお話でもするのかなぁ (そんな訳あるはずないけど) とかも半分思いながら行って、同僚にはごめんなさいして、お寿司を食べながら話した。

ちなみに private を辞書で引くと、特定の人とか、内密のといった意味があるので1対1で話したいときに「プライベートで」と言うのは英語の用法的には間違っていないと思う。ただ、プライベートというカタカナに違和感がないようにこの単語が日本語化している面もあるので in private (非公式に、こっそりと) といったアルファベットを使う方がより意図を伝えやすいかもしれない。

仕事のことや、会社のことや、開発のことや、同僚のことや、日頃、私が実感していることや分からないことをざっくばらんに話した。私自身、その上司を尊敬しているし、実際に優れた人だと思っている。話してみたら8割ぐらい私の考えていたことや状況把握と一致していて、やっぱりちゃんと分かっているんだと何となく安心した。それと同時に、私が分かっていて、その上司も分かっているんだから、きっと周りの人も大体は分かっているんだろうと思って、これ以上は私が何か行動する必要がないようにも受け取れた。

私はかなりの田舎出身のせいか、けっこう他人の目を気にして生きてきた。田舎の人は大抵は見栄っ張りで格好悪いところや恥ずかしいところは表に出さない。私もそういう遺伝子を受け継いできたわけだけど、そのせいか、この人は何を求めているのか、この人は何を思っているのか、そういうのを類推するのが割と違和感なく考えていたりする。プライベートだと相手に失礼だからそんなことしないけど、あくまで業務上でのお話。

昔働いていた会社で上司から「人をよくみている」と言われたことがあった。システムエンジニアという職種は、色んなステークホルダーとやり取りするお仕事だから、意外とうまく立ち回れて成果を残せていたときもあった。業務において対顧客というのは、言わば、契約もしくはお金だけの関係だ。そういったステークホルダーの利益を担保しつつ、周りの人を調整すれば大抵がうまくいく。普通の会社に入って数年働けば、必勝パターンが分かってきて同じ業界や企業間であればそんな難しくない。分からなくても基本的には、顧客の利益優先とか言って働いていればそれで大体はなんとかなる。

難しいのは社内の人間関係だ。社内の利害関係というのは会社の状況によっても変わるものだし、自身のメディア力によっても変わってくる。基本的に私は、なぁなぁの関係が嫌いなので義理人情で動くようにしている。もちろん論理でも動くw。お世話になれば恩を返すし、攻撃を受ければ戦うし、困っていればできる範囲では助ける。だいたいそんな感じ。義理人情は理屈じゃないので気まぐれと言っても良い。ただ1つだけ、損得で動くのだけはやめとこうと意識的に気をつけている。

社内の人間関係は難しいが、実はもっと難しいものがある。自分の心だ。「本心」という単語を辞書で調べると4つ出てきた。

1. 本当の心。真実の気持ち。
2. 本来あるべき正しい心。良心。
3. たしかな心。正気。
4. 本来の性質。うまれつき。

さっき義理人情で動くとか、よく分からないことを言ったけど、それを決めているのは自分の心だ。これがまたそのときそのときで変わる。年をまたぐと大きく変わることもある。良い顔をしているときもあるし、悪い顔をしているときもある。その時々で飛躍していたり、矛盾していることもある。

あの人は何も分かってないんじゃないか?と考えていたら実は分かっていた。そしたら、何だ分かっていたのかと安堵するものの、分かっていて何もしないのは自分にはみえない「何か」があるのか、ただ何もしていないだけなのか、意図的にしていないのか、いろいろ類推ができる。そして、つまりはまた同じループに入る。きりがないのでそこはあまり深く考えない。

先の、若い頃に「人をよくみている」と上司に言われて浮かれていた時期もあったと書いたけど、それはつまり他の人にも事情があって、仲間がいて、家族がいて、生活があって、人生があるんだと言うのを本質的に理解することへの無抵抗感を指していたのかもしれない。自分の心がそれを許せば、別にそれで構わない。それが許せなければ、怒りになったり、反骨心になったり、怠惰になったり、あんまりよくない状況になると思う。

そして、それを自分で気付いてしまった後の判断がすごく重要だ。気付いてしまったら、気付かなかった頃には戻れない。あとは選択するだけだ。許すか、許さないか、もしくは逃げるか。伸るか反るかの二択で考えがちだけど、いまは選択肢を3つ設けるべきだと思っている。人生は長いし、それが本当に重要かどうかも後になってみないと分からないのだから勝負から逃げるのもありだ。逃げ続けるんじゃなくて一時的に逃げるだけだ。逃げるという言葉がネガティブで気に入らなければ戦略的撤退と呼べば良い。

何の根拠もないけれど、経験的にこの決断を損得でやると失敗する確率が上がると思っている。本心で決めた方が良い。そして、一番ダメなのは成り行きで選択してしまうこと、高い確率で望まない状況を招くだろう。

年をとって思うのは、この三択の決断がより短いサイクルで自分の前に提示されるようになってきている気がする。それと、いまは三択しかみえないけど、もしかしたら四択あるのかもしれないし、もっとあるのかもしれない。だって若い頃は二択しかないと思っていたのだから。あと何回訪れるか分からない、その選択を楽しみつつ、反省しつつ、落ち込みつつ、それでもし何かを残せたらきっと幸せな人生なんだろうなと私の場合はそう思う。